ヨーロッパの高齢者医療・福祉制度視察についての印象


 高齢者社会が世界的に進行し、21世紀は高齢者対策が政治,経済は言うに及ばず、
医療,保険,介護その他あらゆる分野に及ぼす影響はますます重大となってくると
考えられる。日本においても介護保険法が成立し、2000年の実施に向けて準備が進
められているが、未だ試行錯誤の状態で多くの問題を抱えている。
 吾が有田市医師会では早くから此の問題に関心をもち、成川会長の発案で、高齢
者介護対策が進んでいるといわれるドイツの実態を視察して、明日への展望を開こ
うと準備してきた。さていよいよ実施の段階になると種々の事情により参加者が意
外に少なく、成川・松村・山本の3名が行く事になった。ところが直前になって肝
心の成川会長が腰痛のため残念ながらキャンセルの止むなきに到り、船頭を失った
吾々2名が妻同伴で出かけることになった。
 詳細は報告書に譲るとして、以下視察の印象を簡単に述べてみたい。

8月12日(火) 晴天
 午前9時定刻にMDK(Medizinishe Dienst Der Krankenversichering)バイエ
ルン州本部に到着する。5階建ての大きなビルで2階の会議室に案内され、大きな
テーブルを囲んで座る。ミュンヘンに長らく在住の、極めて流暢なドイツ語を話す
長谷川義晃氏の通訳で挨拶を交わす。所長のDr.グレーバーは3週間のバカンス
で不在との事。ここで既に日本とドイツの差を思い知らされる。かわって
Mrs.Dr.S.Mirlachがお相手をして下さるとの事。ドイツ人にしては比較的小柄で、
赤いブラウスに白黒のサッパリとしたスーツを着た美人Dr.で、何となく和らいだ
気持ち。
テーブルの上には果物やクッキーや色々な飲み物が用意されていて、どうぞとすす
められたが誰も手を付けない。部屋は暗くはないが電灯はつけないし、クーラーも
効かしていない。日本の様にむし暑くはないが、スーツにネクタイ姿では決して涼
しくはないが、これが当たり前というような顔をしている。これがドイツ式かと思
った。
 話はドイツの保険制度からMDKの仕事の内容等、報告書にあるような事を極め
て熱心にしゃべりまくるので、仲々質問のタイミングがとれない雰囲気であった。
彼女は自分の仕事に誇りを持ち、一種の優越感さえ感じられる程であった。日本の
女性のように、(今では少ないと思うが)恥ずかしいとか遠慮勝ちという態度は見
られず、堂々としゃべりまくる。こちらは長谷川氏の通訳をメモするのがやっとで、
ややもすれば聞き逃してしまう。
 予定の時刻となり、充分理解出来ないまま終わる。Mrs.Dr.S.Mirlach は玄関まで
見送って下さり、快く記念写真に応じて下さった。吾々の車が動き出しても手を振
って別れを惜しんで下さるようで、今でも瞼に焼きついている。
 次の訪問はミュンヘン市立総合病院、老人病診療科老人病デイクリニック
(Klanken Hause 、Geriatrische Jagesklinik)に Prof.Dr.Robert Heinrichを訪れる。
大きな堂々とした病院の中庭を通り過ごしたところに、別棟の老人部門があり、丁
度13:00に Prof.Dr.Heinrich がドアの外へ出迎えて部屋へ招き入れられる。時間が
極めて正確なのは流石ドイツ式かと思った。背の高い秘書らしい女性が電話で話を
していたが、軽く会釈するだけであとは帰るまで一切ノータッチ。
 あまり広くない部屋の丸いテーブルに補助椅子を並べて座り、紹介されて握手を
交わす。ここでも電灯はつけずクーラーもかけていなかった。机の上にはやはり飲
み物やクッキー等が置かれていたが、教授も手を付けなかった。Prof.Dr.Heinrich
は中肉中背で、少し前頭部が生え上がった白髪の、如何にもドイツの学者という感
じのタイプであった。目は鋭いが顔は温和で、その話し振りは学生に講義する様で
ある。老人医療に関しては仲々の権威者らしく、種々のパンフレットを作っては、
一般開業医や総合病院の医師や老人をもつ家庭へのアドバイスを行っていると話し
ていた。吾々が何か質問すると、すぐ手の届く書棚から分厚いファイルを取り出し、
サッとページをめくって、スライドの原稿を思わせる透明なビニールに色鮮やかに
画かれた図表を示しながら説明される。その態度は自信に満ち溢れていた。入院室
やリハビリ室等案内して頂いたが、気持ちよく整頓されていた。只何故か日本のリ
ハビリ専門病院のように種々の機器や器具はあまり見当たらなかった。教授は一人
一人の患者に気軽に声をかけて様子を尋ねているようで、患者も笑顔で答えていた。
日本の Prof. の様にそりくり返って歩いてはいなかった。
 見学が終わって部屋に戻ると分厚いサイン帳を取り出し、これにサインして呉れ
という。これは私の宝物で、日本からの来訪者もいるし日本にも友人がいると話し
ていた。又私達が学生時代に教わった教授の殆どはドイツへ留学して、ドイツで学
んだ先生で、日本の医学はドイツを手本としていたが、敗戦後はアメリカの医学が
ドッと入ってきて、今ではアメリカへ留学する人が多いと話すと複雑な笑みがこぼ
れた。
 定刻になり感謝を述べて記念写真を依頼すると、白衣を着た方が医者らしくて良
いですねと気軽に応じ、部屋の外へ出てエレベータの前で写真に収まって下さった。
ドイツの人の生真面目さと温かさを垣間見た感じ。
 もう一ヶ所は在宅訪問看護・介護ステーション(Karitas Sozialistation Send-ling
)である。ここでも沢山の資料と共に飲物や菓子を用意して待っていてくれた。矢
張りクーラーは効かしていなかった。Mr.Rupert Pfliegl 所長ともう1人の介護士
と看護婦さんの3人で応対してくれた。ここはミュンヘンにある23ヶ所の介護ステー
ションの1つで介護者32名の職員と、カトリック系のボランティアで、ミュンヘン
市150万人中10万人を対象に介護を行っているという話であった。ここで働く人々も
それぞれ使命感をもって仕事に当たっている様子を熱っぽく語ってくれた。只ドイ
ツでも縦割り行政と見えて、同じ介護関係でも21項目については手持ちがなく、吾
々がMDKでもらった用紙を Copy させてくれという有様で少なからず驚いた。こ
こでも記念写真を撮り帰路についたのは午後5時を少し廻っていた。
 スイスやドイツの観光地は何処へ行っても日本人であふれ、あちこちで日本語が
きかれ、日本の経済力のすごさに感心した。流石に訪問先では日本人は見かけなか
った。案内して呉れた通訳氏やガイドは、ドイツが東西合併して大変良かったが、
その分西ドイツの国民が東ドイツを助けなければならず、マルクも下がってドイツ
の経済も大変で国民も苦しい思いをしているが、みんなは頑張っていますよと話さ
れていた。翻って吾が日本の将来を考える時、世界一長寿国となり少子化が一段と
進み、バブルがはじけて経済が低迷し、汚職,不正が横行し、政治,経済,医療等
に明るい展望が見られないなど21世紀は果たしてどうなるのだろうかと、暗澹たる
気持ちになる。
 印象記を終わるに当たり、今回の視察旅行を企画立案して下さった有田市医師会
長成川守彦先生と、主催して下さり現地関係機関と連絡交渉して下さった、ロイヤ
ルトラベラーズサービスの外村・北村両氏をはじめ、通訳・ガイドを努めて下さっ
た方々に深甚の謝意を表します。また有田市医師会より多額の補助を戴いた事に併
せて感謝申し上げて稿を終わります。

                                     H9.9.4  山 本   勉

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